命とは何か

人によって寿命の長短があるのは何故でしょう。生れて間もなく死んでゆく命もあれば、百年を超える命もあります。健康に恵まれた人もあれば、病弱な人もいます。災害で命を落とす人もあれば、生きる辛さに耐えられず自ら命を絶つ人もいます。そもそも命とは何か。

引き継ぐもの

人の寿命は尽きても、それが誰かの記憶にとどまっている限り、その人生の足跡が消えることはありません。人間は先祖代々、そうやって命を受け継いできたのです。生きた記憶だけでなく、生きる使命も併せて引き継ぎながら。(道しるべ15頁)

十二月からは

十二月からこのメール送信のアドレスが変わります。それを機にメールの内容も一新します。これまでは御講席で話された皆さんの体験談を中心にして来ましたが、これからしばらくは「寂光の道しるべ」の一節をお伝えするつもりでいます。もう一度、道しるべを見直すキッカケにしていただければ幸いです。

十二月の御講奉修

十二月の甲御講では、寂光の道しるべ99頁「人間を育てる愛好家になろう」を、乙祥月御講では119頁「開講本旨再興日尚上人」を拝読します。ご法門後の懇談は、「この一年をふりかえって」「寒参詣をどう迎えるか」を話し合っていただく計画です。

参詣将引

お寺参詣のあとで信者仲間とお茶をのみました。その席上で、いつもと同じように信行相続が話題となり、話のホコ先がわが家の息子に向かったのです。思い切って息子に電話してみると、思いがけない色よい返事。その後、約束通りお寺参詣してくれました。すすめられて素直に実行するのが良い結果につながるのですね。

娘のお寺参詣

長いこと病気と闘った娘が健康をとりもどし、お寺に参詣してお礼を言上していただきました。大勢の仲間から応援していただいた結果です。娘は皆さんから「よく来たね」と声をかけられ少々おどろいたようです。知らない人からも声をかけられて、気分上々のお参詣でした。

今は発作もなく

思いがけない病気で倒れましたが、皆さんの応援祈願や謗法の縁を断ち切ることでお計らいをいただきました。おかげで今は発作もなく、すっかり元気になりました。仕事もぼつぼつ復帰して、今は週二日くらい通い身体をならしながら様子を見ています。

兄の病気で

想像もしないことでしたが、兄がガンで手術をすることになりました。家族はもちろんですがお寺中の信者仲間が兄の病気全快を祈って祈願をたててくれました。この経験であらためて家族の健康の大切さを思いしり、これからも兄を励ましながら過ごしてゆきたいと思います。

病気も落ち着いて

病気とうまく付き合いながら共に生きています。そんな私でも他人の幸せをいのる応援祈願のご奉公にはげむと、不思議に良いことがあり、病気も落ち着いてくれます。やはり「生きる」というのは、他人の役に立つ菩薩行のよろこびが原動力になるのですね。

こころを込めて

御本尊を生きていらっしゃる仏様と信じて敬いの心をみがくことが大事と教わっています。お初水をさしあげる器をこころを込めてていねいにみがくと、不思議なことに不安や心配事が解消してゆきます。やはり信心は「生きている仏様を信じる思い」なのですね。