日在h290204 白いキャンバス

信徒各位、日在メールです。命とは何か?それは宇宙から預かったものに違いありません。命は、例えて言えば何も描いてないキャンバスのようなものかもしれません。宇宙から白いキャンバスを預かり、それぞれが思い思いの絵を描いてゆく。自分の人生を描きあげたキャンバスは、いつかまた宇宙に返さねばならないのですから、授かり物というよりも一時の預かり物と考えるべきだと思います。
連絡先(nitizai) 水谷信洋

日在h290203 命は創りだせない

信徒各位、日在メールです。そもそも命とは何か。遺伝子操作や臓器移植が可能になるほど医療技術や科学技術が進歩した現在でも、命そのものを創りだすことは不可能と言われています。自分の命は自分がもらったものだから、どんな生き方をしようと自分の勝手だと考える人もいます。しかし、自分たちで創りだせないものが自分の所有物であるものなのでしょうか。
連絡先(nitizai) 水谷信洋

日在h290202 命とは何か

信徒各位、日在メールです。人によって寿命の長短があるのは何故でしょう。生れて間もなく死んでゆく命もあれば、百年を超える命もあります。健康に恵まれた人もあれば、病弱な人もいます。災害で命を落とす人もあれば、生きる辛さに耐えられず自ら命を絶つ人もいます。そもそも命とは何か。
連絡先(nitizai) 水谷信洋

日在h290201 引き継ぐもの

信徒各位、日在メールです。人の寿命は尽きても、それが誰かの記憶にとどまっている限り、その人生の足跡が消えることはありません。人間は先祖代々、そうやって命を受け継いできたのです。生きた記憶だけでなく、生きる使命も併せて引き継ぎながら。
連絡先(nitizai) 水谷信洋

日在h290131 ちえの眼も欲にはくらむ

信徒各位、日在メールです。ちえのまなこも欲にはくらむ、色に迷えば忠義もわするとて、およそ欲心ばかり人を愚かにするものはなし。色ほどぐちのおこるものはなし。(日扇聖人)
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日在h290130 用いられて出世する

信徒各位、日在メールです。口ごたえせず、ぼやかず、骨惜しみせず、油とらず、物をかすめずウソつかず、欲張らず、すこい事せず、陰ひなたなく、こわい顔せず、言いつけられた事ごとを一心一筋にする故に、此の人必ず用いられて出世するなり。(日扇聖人)
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日在h290129 二月の御講奉修

信徒各位、日在メールです。二月の甲御講では、寂光の道しるべ104頁「日蓮聖人は佐渡の寒さから喜びをつかんだ」を、乙祥月御講では123頁「ご奉公とは」を拝読します。ご法門後は、寂光の道しるべ教義編78頁「二十五、極楽寺良観房忍性との祈雨争い」を読んだ後に、開筵式をどうむかえるかについて話し合っていただきます。
連絡先(nitizai) 水谷信洋

日在h290128 うそをつく人

信徒各位、日在メールです。信者のなかにて尻のはげるうそをつく人は、仏にもうそをつく也。此の性分の人は真実の信者にあらねば、元来は不正直の愚人也。(日扇聖人)
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日在h290127 因果を知れ

信徒各位、日在メールです。われ人を敬えば人また我をうやまうの報いあり。かろしむるも謗るもみな然り、仏法の大事はこの因果を知るを、肝要を知りたる人といふべし。(日扇聖人)
連絡先(nitizai) 水谷信洋

日在h290126 種まきを怠るな

信徒各位、日在メールです。遠き道も一歩よりはじまる、雨のしたたりキリにあらざれども石をうがつ。つるべの縄(なわ)のこぎりにあらざれども井げたを断つ。種しあらば岩にも松は生(おい)にけり。(日扇聖人)
連絡先(nitizai) 水谷信洋