日在h300711 産みの苦しみで

信徒各位、日在メールです。私の場合、子供の出産が非常な難産で、長く続く痛みの中で必死になってお題目を唱える経験をしました。二人目の出産は特に難産で赤ちゃんが生まれた瞬間は仮死状態。それが蘇生して何の障害もなく成長してゆくのを見ていると、お題目のおかげを強く感じます。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h300710 進路はどっちだ

信徒各位、日在メールです。次男は受験の時に、進路をどうするか決めかねてとても迷っていました。もう考えても結論は出ないので、御宝前のおリンをみがき、お仏飯をさしあげるようになり、あとはもうお任せと腹を決めてお看経をあげていたようです。すると、自然な形で目標が定まり、希望が叶って大学に入ることが出来たのです。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h300709 震災のときも

信徒各位、日在メールです。東日本大震災のとき、家がつぶれるかと思うくらい激しく揺れました。しかし、御宝前のお花やお供水などは少しもこぼれなかったのです。その時、やはりわが家は御宝前にお守りいただいているのだと強く感じました。今もその思いは変わらず、お看経を毎日させてもらっています。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h300708 娘の一大事で

信徒各位、日在メールです。長女が小学三年生のとき、あごの骨に腫瘍ができて、「これは大変!すぐ大病院へ」と云われて目の前が真っ暗になったのを思い出しました。娘の一大事ですっかりうろたえましたが、どうすることもできません。御題目を唱える以外にないのです。一日七時間のお看経を一カ月つづけると、腫瘍が一か所にあり良性だと判明。手術で削り取ることが出来ました。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h300707 激しい腹痛が

信徒各位、日在メールです。6年前、家に帰る途中で激しい腹痛に見舞われました。これはただ事ではないと病院に行くと、炎症反応の数値が異常な高さで緊急手術をすすめられました。でも、どうしても手術をしたくなかったので医師のすすめを断りつづけ必死のお看経。腹膜炎の痛みが徐々におさまり、そのまま全快しました。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h300706 知らないと怖い

信徒各位、日在メールです。姉が体調を崩して悪寒がすると言いだしました。我慢強い姉なので、病院に行って診てもらった方がいいとすすめても、少し休めば大丈夫だから、明日病院に行くから、と取り合いません。そうこうするうちにいよいよ具合が悪くなって意識不明に。病院に行くと、一刻を争う危険な状況でした。素人判断は危ないですね。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h300705 あっ!当たり屋だ

信徒各位、日在メールです。5年前の年末でした。主人が車を運転していて人にぶつかってしまいました。ぶつかったと云うより、ぶつかってもいないのに向こうからぶつかってきた当たり屋なのです。相手の要求に取り合わないで警察を呼び、保険屋さんにも間に入っていただき助かりました。それからです、主人が信心の方にも目を向けてくれたのは。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h300704 何で私が?

信徒各位、日在メールです。15年ほど前にTVで、こんな兆候があれば乳がんを疑って検査すべきという番組を見ました。ちょうど私に当てはまる内容だったのですぐ検査にゆき、乳がんと診断されました。はじめは「何で私が」という思いでいましたが、TVを見なければ気付くのが遅れたかもしれません。お守りを頂いたのです。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h300703 治してくれたらどんな御奉公も

信徒各位、日在メールです。昭和54年に吐血。右の肺に穴が空いていてボールのような血のかたまりがあることが分かり、命がないと思い夢中になってお看経をあげて、「治してくれたらどんな御奉公もさせてもらいます」と必死の言上をしていたのを覚えています。それが本当にケロリと良くなり、それから熱心にお寺参詣をつづけるようになりました。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h300702 30年前に思いがけず

信徒各位、日在メールです。ぼんやりしていて入信しても参詣もしない信者でした。それが30年程前のことです。思いがけず脳梗塞を起こし、足が利かなくなってしまいました。ところがお題目のおかげかどんどん快方に向かい、一週間で何の後遺症もなく歩けるところまで回復したのです。それ以来、ずっとお寺参詣をつづけています。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋