日在h310111 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。そう心がけていると、なぜか知らぬ間に、自分は運が良いと思えることが身の回りに増えてゆきます。笑顔で接してくれる人に出会うことが多くなります。仕事の人間関係も円満になってゆきます。(寂光の道しるべ19頁) 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h310110 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。日常身の回りで少しでもラッキーなことが起きたら、「自分は運が良い、ありがとうございます」と天に向かって声に出して感謝します。例えば、忘れ物を思い出して足を止めた瞬間、目の前の路地から自転車が飛び出して来て間一髪で難をのがれた、というような日常いくらでもある幸運を、「ありがとうございます」と一つ一つ声に出して感謝するのです。(寂光の道しるべ19頁) 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h310109 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。幸運を引き寄せるには、悲観的な言葉を口にすることや、もう駄目かもしれないという否定的な考えを持たないよう心がけ、周囲と円満な人間関係を築くことから始めます。そして何より、自分は仏に見守られている幸運な人間だと信ずることです。(寂光の道しるべ18頁) 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h310108 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。周囲を見まわすと、恵まれた人と恵まれない人、運のよい人と運の悪い人というように、人それぞれです。確かに生まれながらに経済的格差などはありますが、長い目で見ると必ずしも金持ちが幸せとは限りません。そんなことに煩わされず、幸運は自分の努力で引き寄せることが出来る、と知ってほしいのです。(寂光の道しるべ18頁) 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h310107 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。どうせ自分はだめな人間だから何をやっても上手くゆかない等と自分を卑下することは、命を預けてくれた「仏の意志」にそうものではありません。否、それどころか大変に失礼なことなのです。そんなことを口に出して言おうものなら、本当に不幸の種ばかりを呼び寄せてしまうことになります。(寂光の道しるべ17頁) 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h310106 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。短ければ短いなりに、長ければ長いなりに、病弱なら病弱なりに、それぞれ充実した人生を送るには、与えられた境遇の中に喜びを見つけ出し、感謝しながら生きてゆくことを忘れてはなりません。それが、命を託してくれた仏への恩返しというものです。 (寂光の道しるべ17頁)
連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h310105 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。命は、宇宙を支配する法則、即ち「仏の意志」によって、生まれるべくして生まれてくるものなのです。であればこそ、誰しもが、それぞれの人生をよろこんで生きていってほしいものです。感謝して生きることこそが、託された使命を全うすることになるのですから。(寂光の道しるべ17頁) 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h310104 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。命は、例えて言えば何も描いてないキャンバスのようなものかもしれません。宇宙から白いキャンバスを預かり、それぞれが思い思いの絵を描いてゆく。自分の人生を描きあげたキャンバスは、いつかまた宇宙に返さねばならないのですから、授かり物というより一時の預かり物と考えるべきだと思います。(寂光の道しるべ16頁) 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h310103 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。そもそも命とは何か?遺伝子操作や臓器移植が可能になるほど医療技術や科学技術が進歩した現在でも、命そのものを創りだすことは不可能と言われています。自分の命は自分がもらったものだから、どんな生き方をしようと自分の勝手だと考える人もいます。しかし、自分たちで作り出せないものが自分の所有物であるものなのでしょうか。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋

日在h310102 寂光の道しるべ

信徒各位、日在メールです。人によって寿命の長短があるのは何故でしょう。生まれて間もなく死んでゆく命もあれば、百年を超える命もあります。健康に恵まれた人もあれば、病弱な人もいます。そもそも命とは何か。(寂光の道しるべ15頁) 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋