信徒各位、日在メールです。「ありがたいね、お計らいだよ、お看経しようね」。母はどんな時でもすぐに御宝前への感謝を口にする人でした。子供たちもそれを身に付けていてお看経をよくあげます。今回は、自分がぎっくり腰を患ってお看経にすがり御宝前のありがたさとを痛感し、改めて母の偉大さをかみしめました。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋
月別: 2018年8月
日在h300820 実力発揮のお願い
信徒各位、日在メールです。試験を受けるたびに、いくら努力をしても完全とは言えないところを「実力発揮」のお願いをしてお看経をあげて乗り越えてきました。今では、試験のたびにお看経をさせていただけることが私の精神的支えとなっています。これからも精一杯の努力をしてお題目を唱え、前進してゆきたいと思います。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋
日在h300819 大丈夫よ
信徒各位、日在メールです。母からは、「お題目を唱えれば必ずお守りがあるからね」といつも聞かされていました。悩みがあって相談したときも「大丈夫よ」としか言いません。母の信心がどっしりしたものなので、子供達はそれを心の支えにしてきました。今でも、母の近くにいると何とも言えない安心感があります。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋
日在h300818 お供水にお看経
信徒各位、日在メールです。母はガンかも知れないと診断された時、毎日お供水とお看経におすがりしていた姿を、今でも鮮明に覚えています。そうやって病気を克服し、今度は私が病気で入院したときにも、母は毎日病室で一日中お看経をあげてくれました。このようにして私たち姉妹は母の姿を通じて信心を教わりました。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋
日在h300817 手でリズムをとって
信徒各位、日在メールです。母は晩年に大腸癌の手術をして人工肛門をつけることになりました。手術はうまくいってもう退院というときになって今度は誤嚥性肺炎になり生死の間をさまよいました。その看病中に、家族の必死のお看経にあわせて母も手でリズムをとってお看経をしているのです。そこから見事に蘇生して家に帰ることが出来ました。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋
日在h300816 91歳の決断
信徒各位、日在メールです。身体が重くなったので病院で調べてもらうと、卵巣膿腫と診断されました。医者は私が高齢なのを理由に手術をしたくないようでしたが、自分自身は長びく治療よりパッと切ってもらいたいと手術を希望しました。私には御法様がついているので何の不安もなくその場で決断したのです。今日は快復してから初めてのお寺参詣です。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋
日在h300815 父の姿を見て
信徒各位、日在メールです。高齢の父親が病気を乗り越えてあそこまで回復するとは思ってもみませんでした。これこそお題目のお陰だなと思っています。親から信心をしろと言われたことはありませんが、願いが叶う信心だとは常々聞かされていました。あの姿を通じて父は私に信心を伝えようとしている、と感じています。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋
日在h300814 行く先々で
信徒各位、日在メールです。父が転勤族だったので、行く先々で地元のお寺に参詣したのを覚えています。そのお寺参詣が私の信心の原点です。子供達には、私たち夫婦が御宝前のお給仕を第一にしているのを見せ続けることが、やがて信心の核になってくれるよう願っています。今は孫も出来たので、お嫁さんにどう伝えるか、楽しみにしています。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋
日在h300813 母から教わったものは
信徒各位、日在メールです。信心は、スナオ、正直、お看経をたくさんあげることに尽きると母から何度も教わりました。それを何時も忘れないように今日まで信心を続けてきました。平成11年に甲御講をわが家でいただきましたが、お導師に御挨拶するのをなにより楽しみにしていた母が直前に入院。御講の奉修が終わるまで生きていられるように必死でお看経したのを覚えています。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋
日在h300812 お叱りをいただいて
信徒各位、日在メールです。私は自分一人だけの信心で家族の協力はありませんので、御宝前のお花が痛んでも誰かが買ってきてくれるわけではありません。忙しさにかまけて、明日明日と言いながらお花の活け変えを先延ばししてしまいました。ようやく買いに行くと、帰り道で車にはねられてしまいました。これはお叱りでしょう。 連絡先(nitizai@myooji.com) 水谷信洋