佛立本旨講妙應寺


寂光の道しるべ ③ 菩薩行にはげめばこの世が寂光浄土になる

日扇聖人ご教歌
寂光はいづれをさして行くやらん
御題目ぞしるべ也ける
人間は何のために生きるのでしょう。食べるためなのか。子孫繁栄のためなのか。快楽を追求することが目的なのか。あるいは、欲望を抑圧して心の平安を保つことに意義があるのか。これは、古来語られてきた人類永遠のテーマです。
仏は、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)輪廻という苦の連鎖から解放されることを目的に、菩薩行にはげむ一生を送るべきだと仰せです。 たまたま人間として生まれ、しかも仏法に出会う縁に恵まれたのは希の中の希であり、この千載一遇のチャンスを捉え、何はさておき、この一生は人を助ける菩薩行に励むべし、と。
人を助けよと言われても、我々は人を助ける知恵も力も持ち合わせていません。どうすればいいのでしょう。
日蓮聖人は、仏が菩薩行に励んで成仏した一切の経験と知恵と喜びが妙法蓮華経の中に包み込まれている、妙法を口に唱えることによってどのような喜びも頂くことが出来る、と仰っています。
また、自ら妙法を唱えて心配事や災難をのりこえる経験を積み、その経験を他人に伝えて妙法口唱をすすめることが菩薩行である、とも仰せです。
何の力も持ち合わせない我々でも、信心を起こせば、他人の苦を救う菩薩行を行なうことが出来るのです。
佛立本旨講では、病気に苦しむ人があれば、多数の信者が病気全快を願って祈願をかけ、本堂に集まって題目口唱する、という形で仏の教えを日常的に実践しています。これが大きな力を発揮して、多くの病人の支えとなっています。
この菩薩行の喜びによって充実した人生を送れば、苦しみの多い娑婆というこの現実の世界に住んでいながら、苦しみのない寂光浄土の喜びを味わうことが出来ます。
妙法口唱のお陰に感謝し、良い仲間に出会えた縁を大切に思い、その支えに感謝しながら生涯を送る。再びこの娑婆世界に生れ、信者となって妙法を弘めたい。そう願って一生を終える。
それには、妙法口唱によって菩薩行を実践することです。この喜びによって充実した人生を送れば、死後の浄土参拝のみならず、日常生活の中にも寂光浄土の喜びを味わうことができます。それこそが寂光のしるべとなります。

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