佛立本旨講妙應寺


寂光の道しるべ② 善い種まきをすれば見えぬ未来が見える

日扇聖人ご教歌
信心は何になるぞと人問はゞ
一寸先は闇の提灯
明日どんなことが我が身に起こるかは、誰にも見通すことは出来ません。明日はおろか、一分一秒先すら見えません。先が見えない不安から、占いや予言に心を惹かれる人も多いものです。
しかし、確かでないものを頼りにする訳にもゆきません。そこで、この先何があってもいいように取り敢えずお金をためておこう、と多くの人は考えます。 因果の道理を信じて最高の種まきをすれば、先には最善の運命が待っているはずです。信じる以上は徹底的に信じましょう。
たとえ、病気や災難に見舞われても、以前の種まきが悪かったのだと受け止めて心を切り替え、今の種まきに努める。身近な人の災難や突発的な病気が起きる現実を見ても、いたずらに未来への不安を思わず、今の種まきに専念する。これが、因果を信じる生き方です。
では、善い種をまくにはどうすればいいのでしょう。それは、不足を思わず笑顔で生きること。もう一つは、他人の幸福を願うことです。他人の幸福を願うと言われても、誰も人を助ける力など持っていません。でも、仏の教えを伝え、その人の運が良くなるよう願うことなら出来ます。
結局、法華経の題目を唱えて他人の幸福を願うことが、今まくことが出来る最善の種まきです。そこに手応えを見出せば、見えぬ未来を明るく照らすことになります。

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