佛立本旨講妙應寺


寒参詣について

今朝は「寒参詣のすすめ」と題してお話をさせていただきます。
寂光の道しるべ105頁には「寒参詣は、佐渡の酷寒に耐えながらも妙法蓮華経の真実を証明しようとする日蓮聖人の信仰に畏敬の念をはらい、また、そのご苦労を偲んで、寒中の一カ月間を寒さに負けずに参詣に励もう、という趣旨の報恩ご奉公です。
乃至 妙法蓮華経を信じる信者として、寒さの中からよろこびをつかみ出す決意を持ちたいものです。」

又62頁には「昔は、信者が仏の住まう精舎に出かけて行って教えを聴きました。これが朝参詣の原型です。」と教えて下さってあります。
ですから「参詣」とは仏様のもとに出かけて行き仏様にお目にかかる事でした。
そして、ここで教えをきき指導を仰ぎご利益を頂くことから、この場所を「道場」といいました。
ですから参詣をするのが信者の資格であったのです。
道場はまた、ご利益をいただく場所という意味で「宝所」とも言われます。
「宝の山」ということです。

「今は、お寺の本堂に詣り、御法門を聴き、皆と共に題目口唱するのが参詣です」そして「お寺参詣を喜んですれば、身・命・財にわたる喜びが身につくのです」と教えて頂いています。

開導聖人のご指南に「雨中(あめふり)の日参、短夜の朝参(あさまいり)はしにくきもの也。其のしにくきことをつとめ得て楽しみとする人は、必ず其功をあらわすもの也。諸願成就開運出世うたがいなし。」と仰せです。

2009年に聞信寺の御信者の体験談をお伝えします。
私は今年はじめて寒参詣をさせていただきました。
お講席で御住職から、『寒参詣の御利益をいただけますよ』とおっしゃっていただきました。
寒参詣が終わった2月のある日、仕事に向かう途中、二人の子供さんが突然車の前に飛び出してきたのです。
先に姉が渡り、そこまでは私も確認できたのですが、姉を追って妹が何も見ず道路を渡ったのです。
ブレーキを力いっぱい踏みましたが、「とても無理、止まるはずがない」頭の中でそう思っていました。
気づいた時は、子供が車の前にいました。
突然の出来事で、声は出なく、体と足は震え、心臓が出てしまいそうで、しばらく動くこともできませんでした。
何かあったら全てが終わってしまうのです。
助けて頂いた、本当に心からそう思いました。
「ありがとうございました」と何回もいっていました。
御住職がおっしゃっていたご利益をいただいたのです。
車が子供の前で、ピタッと止まったのが御法様の大きなお力で、お守りいただいたと感得させていただきました。
一部始終を義姉に話しましたら「災難除滅のお札」をあげさせていただきなさいと言われ、次の日にお寺にお参りして上げさせていただきました。
今、私の願いは、家族全員でお参詣できるように御祈願を立て、ご信心に向かいたいと思っています。
ここまで来るには、いつも言い訳ばかりで、お寺に足が向かうことがなかったのですが、姉夫婦をはじめ、教区の皆様方の暖かいお気持ちで、お助行、応援していただいたおかげです。
これからも、素直な気持ちでお参詣に頑張りたいと思います。
という御利益談を書いて下さいました。

コロナ禍での新年ですが、「一年の計は寒参詣ににあり」と教えて頂いていますので、お互いに蜜を避け、マスク着用アルコール殺菌、手洗い等コロナ感染予防を確実に実行して、時間帯にも工夫して参詣するもよし、ライブ参詣とするか、それぞれ目標を立てた充実した思い出に残る寒参詣にしましょう。

最後に御教歌に
「わが祖師の御悦を信ずれば みのりの為に身ををしむかは」

令和3年1月5日
糠谷信章師

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