佛立本旨講妙應寺


寒参詣について

日蓮聖人が佐渡の酷寒に耐え、妙法の真実を証明しようとなさったご苦心を偲んで、寒中の一ヶ月間を寒さに負けずに参詣に励もうという報恩ご奉公として、日歓上人が寒参詣を始められました。
日歓上人は、明治三十三年十二月に乗泉寺第十八世住職に就任されました。それは決して晴れやかなものではなく、何もない、破れ寺に派遣されたようなものであったのです。日歓上人は『その時、私は三十三歳で未だ独身でありました。本所・中の郷の清雄寺、師匠のお側でご奉公をさせて頂いて居る最中でありました。其の時は、乗泉寺は無住であって、顕本法華の僧が易(えき)の看板を表に掛けて、占いを渡世にして留守番をしていた誠に見苦しいお寺であったのです。』と述べられ、雨漏りがひどいためお祖師様にもご不敬となっていて、実に勿体ない有様であったと伝えられています。
このような荒れはてた事相を挽回するために、早速翌年から寒参詣を実施されたのです。
すると、この寒参詣が非常な成功をおさめました。
『それ以来、もう御信者も楽しみにする、私も楽しみとすると言うような具合であったので、益々益々栄えるようになったのであります。』と、日歓上人は、懐旧談に述べておられます。
きっと、お寺参詣でご利益を頂く人が増え、お寺参詣の貴さが広まっていったのでしょう。
日歓上人が弘通発展を願い続けられ、苦労して始めた寒参詣こそ、乗泉寺の弘通発展の一助になったに違いありません。
日歓上人、日晨上人、日尚上人と受け継がれた寒参詣には、歴代上人方の弘通の思いが込められています。
この思いを真摯に受け取り、妙應寺の弘通発展のため、全信徒協力して令和二年の寒参詣を盛り上げましょう。

令和2年1月5日
糠谷信章師

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