佛立本旨講妙應寺


日晨上人御37回忌について

日晨上人は、明治三十二年1899年10月26日東京府麻布区龍土(りゅうど)町(ちょう)で誕生されました。開導嗣法第四世日教上人より「清長」と名前を頂き 十六歳にて得道されました。
 その後九年のご奉公を経て早くも二十五歳の時には乗泉寺住職に就任されました。それ以後、麻布乗泉寺や世田谷別院の開筵式をつとめました。また、弟子の育成にも力を入れ、東海から北海道までの弘通発展に尽力されました。
太平洋戦争中には、日歓上人のご遷化や乗泉寺本堂が戦災に合うなど大変な時期を乗り越えられました。終戦後の昭和二十二年3月、法華宗より本門佛立宗として一宗独立を果たされました。
その後、東京が一層発展してゆく将来像を勘案され、昭和二十五年五月に渋谷に乗泉寺を移されました。一方、宗門の宗制改正の一大事業を完成されました。
日晨上人は、数々の大役を宗門より拝命し本門佛立宗の発展にも貢献されました。その後昭和三十七年十月には、開導嗣法第十五世講有位を継承されました。講有在任中も、宗門の発展に尽力され数々の功績を残されました。
昭和四十一年講有退任後、「佛立信心像」「ある角度から」などなど、数多くの著述をのこされました。
昭和五十年に乗泉寺住職退任され、弟子である日尚上人に後任住職を任されました。退任後も、高祖七百回御遠忌や新宗制の制定等数々のご奉公に力を注がれ、昭和五十九年八月三十一日ご遷化されました。

本門佛立宗の一宗独立、新宗制の制定など現在の礎を築いてくださいました。本年八月に大恩ある日晨上人の御三十七回忌を挙行致します。我々信徒一同、日晨上人のお徳をお偲びして今後のご弘通ご奉公に励みましょう。佛立本旨講の発展こそ先師上人への報恩ご奉公です。多くの方を参詣将引し、盛大な式にさせて頂きましょう。

令和2年1月2日
水谷随歓師

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